偉人伝「安藤百福」カップヌードル開発者
こんにちは!本日は…
「安藤百福」について紹介したいと思います!
日清食品を設立し、インスタントラーメンの「チキンラーメン」や
人のためを思いチキンヌードル開発に成功した安藤百福を解説していきます!
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名前:安藤百福
生誕:1910年3月5日
出身地:台湾 朴子市
死亡:2007年1月5日(享年 96歳)
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◇料理上手な少年
当時、日本の領土であった台湾・嘉義庁(現在の嘉義市・かぎし)で百福は誕生しました。
両親は幼い頃に亡くしており、織物販売業を営む祖父母のもとで育てられます。
常に商売と身近な場所で育った百福は、ものづくり、商売に興味を持つ少年に育ちます。
幼い頃から掃除、洗濯、調理を学び、自立心も旺盛。
高等小学校(現在の中学校)に上がると、誰に言われるまでもなく、自分と妹たちの朝食と弁当を作るようになります。
やがて妹二人と祖父母の家を出て暮らしたいと言い出し、許されました。
◇起業を決意
22歳になった百福は起業を決意します。
その後大阪に拠点を映した百福は、様々なアイデアで会社を発展させようとします。
そんな中知り合いからある女性を紹介され、その女性に一目惚れして、猛アタックした結果結婚しました。(安藤仁子)
その後戦争が激しくなり、大阪は連日の空襲により焼け野原となりました。
日本が敗戦を受け入れると、百福は、前年に結婚した妻とともに、疎開先の兵庫から大阪へ戻りました。
◇闇市にラーメンのためにならぶ人々
敗戦後、食糧難であえぎ、ラーメン一杯のために列を作る人々の姿は、強烈な印象を与えました。
そこで百福は食の大切さを痛感します。
その後
知人に頼まれ、信用金庫の理事長になりましたが倒産してしまい、お金や家にあるものも全て持っていかれました。
百福はこの時47歳、、
しかし、百福は諦めません。
「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」(『魔法のラーメン発明物語』p56)
財産を失い、再出発を考える中で、闇市でのラーメンの記憶がよみがえり「家庭でお湯があればすぐ食べられるラーメンをつくりたい」と真剣に考えるようになったのです。
◇チキンラーメン誕生!
つくっては捨て、つくっては捨てという気の遠くなるような作業をくり返し、
わずかな光を頼りに、進み続ける日々を経て、百福は瞬間油熱乾燥法という製法を開発、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」の開発に成功することになりました。1958年、48歳の時です。
しかし販売にとても苦労します。当時のチキンラーメンの価格は35円と、6円のうどん玉や25円の乾麺にくらべても割高でした。
当時、食品問屋はどこも扱ってくれませんでした。しかし阪急百貨店での試食販売などを通じて、小売店や食品問屋が取引を開始。1959年には爆発的なヒットとなりました。
◇カップヌードル誕生!
チキンラーメンが大ヒットし、1966年アメリカに売り込む際、バイヤーさんが紙コップにお湯をかけるさまを目撃し、ピンときます。
アメリカにはどんぶりも箸もない、つまりインスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにある、と気づいたのです。そしてこの経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に取りかかりました。
こうして誕生した新製品は、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付けられ、発売されました。
しかし「カップヌードル」は、袋麺が25円の時代に1食100円と高価で、また立ったまま食べるのは行儀が悪い!という意見も飛び出し、なかなか店頭に並べてもらえませんでした。
そしてカップヌードルは1973年にアメリカ進出を果たしました。その後もブラジル、シンガポール、香港、インド、オランダ、ドイツ、タイなどに次々と拠点を設立。日本の味をそのまま輸出するのではなく、それぞれの国や地域の人が好むスープや具などを商品作りに反映させることで、「カップヌードル」は日本生まれの世界食となりました。
インスタントラーメンを発明し、世界の食文化を変えた安藤百福。安藤がチキンラーメンを世に送り出してから半世紀以上が経ち、96歳でその生涯を閉じるまで、"クリエイティヴな発想" と "最後まであきらめない執念" を持ち続けていた安藤の志は、現在も日清食品グループに受け継がれています。
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いかがでしたでしょうか!
いつも食べてるカップラーメンの裏にこんな隠された努力があったとは、、、
調べていてとても面白かったです!
安藤百福の名言をまとめておくのでよかったら見てください!
◇名言集
・私は眠るときもメモと鉛筆を枕元に用意する。あなたも四六時中考える習慣をつけなさい。
・自立しなさい。自分がしっかりと立たなければ、人を助けたり、引っ張っていったりすることはできません。
・私は医者や弁護士であっても、専門家の言うことを鵜呑みにはしない。 ときには素人の発想が正しいこともある。 素人だからこそ常識を超えた発想ができる。 人間はなまじ知識があるから本質がわからなくなる。
・僕は何もないところから、あり合わせの道具だけでチキンラーメンを作った。やる気さえあれば、何でもできますよ。
最後までご覧いただきありがとうございました!