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偉人伝「安藤百福」カップヌードル開発者

 

こんにちは!本日は…

安藤百福について紹介したいと思います!

 


日清食品を設立し、インスタントラーメンの「チキンラーメン」や

カップ麺の「カップヌードル」の開発者です!

 


人のためを思いチキンヌードル開発に成功した安藤百福を解説していきます!

 

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名前:安藤百福

生誕:1910年3月5日

出身地:台湾 朴子市

死亡:2007年1月5日(享年 96歳)

 


料理上手な少年

当時、日本の領土であった台湾・嘉義庁(現在の嘉義市・かぎし)で百福は誕生しました。

両親は幼い頃に亡くしており、織物販売業を営む祖父母のもとで育てられます。

 


常に商売と身近な場所で育った百福は、ものづくり、商売に興味を持つ少年に育ちます。

 


幼い頃から掃除、洗濯、調理を学び、自立心も旺盛。

高等小学校(現在の中学校)に上がると、誰に言われるまでもなく、自分と妹たちの朝食と弁当を作るようになります。

やがて妹二人と祖父母の家を出て暮らしたいと言い出し、許されました。

 


起業を決意

22歳になった百福は起業を決意します。

その後大阪に拠点を映した百福は、様々なアイデアで会社を発展させようとします。

 


そんな中知り合いからある女性を紹介され、その女性に一目惚れして、猛アタックした結果結婚しました。(安藤仁子)

 


その後戦争が激しくなり、大阪は連日の空襲により焼け野原となりました。

 


日本が敗戦を受け入れると、百福は、前年に結婚した妻とともに、疎開先の兵庫から大阪へ戻りました。

 


闇市にラーメンのためにならぶ人々

 


敗戦後、食糧難であえぎ、ラーメン一杯のために列を作る人々の姿は、強烈な印象を与えました。

そこで百福は食の大切さを痛感します。

 

 

 

その後

知人に頼まれ、信用金庫の理事長になりましたが倒産してしまい、お金や家にあるものも全て持っていかれました。

百福はこの時47歳、、

 


しかし、百福は諦めません。

「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」(『魔法のラーメン発明物語』p56)

 


財産を失い、再出発を考える中で、闇市でのラーメンの記憶がよみがえり「家庭でお湯があればすぐ食べられるラーメンをつくりたい」と真剣に考えるようになったのです。

 


チキンラーメン誕生!

 


つくっては捨て、つくっては捨てという気の遠くなるような作業をくり返し、

わずかな光を頼りに、進み続ける日々を経て、百福は瞬間油熱乾燥法という製法を開発、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」の開発に成功することになりました。1958年、48歳の時です。

 

 

 

しかし販売にとても苦労します。当時のチキンラーメンの価格は35円と、6円のうどん玉や25円の乾麺にくらべても割高でした。

 


当時、食品問屋はどこも扱ってくれませんでした。しかし阪急百貨店での試食販売などを通じて、小売店や食品問屋が取引を開始。1959年には爆発的なヒットとなりました。

 

 

 

カップヌードル誕生!

 

 

チキンラーメンが大ヒットし、1966年アメリカに売り込む際、バイヤーさんが紙コップにお湯をかけるさまを目撃し、ピンときます。

 


アメリカにはどんぶりも箸もない、つまりインスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにある、と気づいたのです。そしてこの経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に取りかかりました。

こうして誕生した新製品は、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付けられ、発売されました。

 


しかし「カップヌードル」は、袋麺が25円の時代に1食100円と高価で、また立ったまま食べるのは行儀が悪い!という意見も飛び出し、なかなか店頭に並べてもらえませんでした。

 


そしてカップヌードルは1973年にアメリカ進出を果たしました。その後もブラジル、シンガポール、香港、インド、オランダ、ドイツ、タイなどに次々と拠点を設立。日本の味をそのまま輸出するのではなく、それぞれの国や地域の人が好むスープや具などを商品作りに反映させることで、「カップヌードル」は日本生まれの世界食となりました。

 


インスタントラーメンを発明し、世界の食文化を変えた安藤百福。安藤がチキンラーメンを世に送り出してから半世紀以上が経ち、96歳でその生涯を閉じるまで、"クリエイティヴな発想" と "最後まであきらめない執念" を持ち続けていた安藤の志は、現在も日清食品グループに受け継がれています。

 


いかがでしたでしょうか!

いつも食べてるカップラーメンの裏にこんな隠された努力があったとは、、、

 


調べていてとても面白かったです!

 


安藤百福の名言をまとめておくのでよかったら見てください!

 


名言集

 


・私は眠るときもメモと鉛筆を枕元に用意する。あなたも四六時中考える習慣をつけなさい。

 


・自立しなさい。自分がしっかりと立たなければ、人を助けたり、引っ張っていったりすることはできません。

 


・私は医者や弁護士であっても、専門家の言うことを鵜呑みにはしない。 ときには素人の発想が正しいこともある。 素人だからこそ常識を超えた発想ができる。 人間はなまじ知識があるから本質がわからなくなる。

 


・僕は何もないところから、あり合わせの道具だけでチキンラーメンを作った。やる気さえあれば、何でもできますよ。

 

 

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました!