偉人伝「本田宗一郎」世界のホンダを作り上げた天才技術者
こんにちは!
本日は…
「本田宗一郎」を紹介したいと思います!
「ホンダ(本田技研工業)」を一代で築き上げた事で知られる戦後の日本を代表する経営者・技術者。天才技術者とも呼ばれた本田宗一郎。
客の事を第一に考える本田宗一郎のやり方に今も多くの経営者が学びを得ています。
紹介していきます!
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名前:本田宗一郎
生誕:1906年11月17日
死亡:1991年8月5日(享年84年)
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◇小さい頃から車好き
初めて自動車を見たのは8歳の時。
この時宗一郎は、いつか自分で車を作ってやろう!と思ったそうです。
大好きな自動車にふれていたい。
中学を卒業した宗一郎は、15歳で東京へ丁稚奉公に出されます。自動車に触れながら勉強をするために自動車の修理工場で働きます。
住みこみで、子もりやそうじをしながら、ひたすら勉強の日々を過ごします。
しばらくすると修理の仕事も任されるようになり、真面目な宗一郎は腕を上げていき、会社から認められるようになります。
◇独立
22歳になると故郷の浜松に戻り独立します。
初め、従業員は宗一郎だけでしたが、
どんな車でも直してくれる。と話題になり従業員は増えていきました。
その後結婚をして、会社もどんどん大きくなりますが、
宗一郎は修理でなく、1から車を作りたい!と思うようになりました。
学校に通ったり車の開発者を訪ねるなどし、エンジンのピストンリングを開発。
会社はさらに大きくなります。
◇戦争により工場がなくなる
1945年、戦争による空襲で工場がなくなり、宗一郎は″人間休業”を家族に宣言して、1年間仕事をしませんでした。
1946年、宗一郎は静岡県浜松市山下町に本田技術研究所を開設しました
知り合いが持ってきたエンジンを宗一郎は自転車につけられるようにして販売し、バタバタと呼ばれるエンジンは大ヒットします。
◇本田技研工業株式会社を設立
1948年、本田技研工業株式会社を設立。本田技術研究所が株式会社となり社名も変更されました。
その後数多くのレースで結果を残し、世界最速を決めるF-1レースで優勝を果たし、世界最速の車を作ることに成功しました。
その後もホンダは地球に優しいエンジンを開発するなど、技術のホンダとして確固たる地位を築きました。
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いかがでしたでしょうか!
真面目で夢にまっすぐ向かう姿がカッコいいですね^_^
ここでは紹介しませんでしたが、ホンダの副社長であり、本田宗一郎とともに世界的大企業へと育て上げた「藤沢武夫」がめっちゃ好きですいつか紹介します、笑
本田宗一郎の名言をまとめておくのでよかったら見てください!
◇名言集
・成功とはあなたの仕事のほんの1パーセントに当たるものだが、それは失敗と呼ばれる99パーセントのものがあって初めて生まれてくるものである。
・人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。
・伸びるときには、必ず抵抗がある。
・成功は99%の失敗に支えられた1%だ。
・日本人は、失敗ということを、恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
最後までご覧いただきありがとうございました!